随筆集 第1部


このページには、私が去る1月6日から琉球新報社の夕刊のコラム「南風」に執筆している随筆の第1回(1月6日)から3第6回(3月17日)の間に掲載されたものです。それ以降の分はここをCLICKしてください。



心を大切にしたい  板井 裕 [97/1/6]

高度情報化時代の到来が叫ばれてすでに久しい。でも今年はインターネットやマルチメディアなど様々なトレンドが組み合わさって大きな変革の波が押し寄せて来るのではないかと思う。その結果、私たちの暮らしは確実にこれまで以上に便利で文化的な暮らしに変わっていくだろう。でも、こうして社会の情報化が進んで便利になればなるほど、時折、寂しさと言うべきか不安というべきだろうか、何か得体の知れないもやもやとしたものを感じるような気がする。

「人」は元来とてもわがままな存在ではないかと思う。少しでも便利な、少しでも効率のいいものをと一生懸命追い求め、それが実現すると、喜びと同時に、寂しさや不安を憶えたり、また人間的なものが欠けてきたなどとブツブツ言い始める。戦後最長の不況に遭遇し、企業は生き残りを図ってなりふり構わずリストラを断行し、事業の再構築を行った。もちろん無駄があるよりは無駄のない方が良いし、また不便よりは便利の方が良いことは言うまでもない。少しセンチメンタルではないかと叱られるかもしれないが、でも私は、一生懸命働く人々の額から流れる汗の中に、その人の仕事に対するひたむきな熱意や思いが感じられるような気がするし、人と直接言葉を交わすことによって、喜びや悲しみをその人と共にすることができるような気がしてならない。

     人間が人間である所以は、「心」で人肌の温もりや愛や喜びを、そして悲しみや苦しみを感じることができるからだと思う。熾烈な企業間競争の結果、効率や利便性を追い求め、ともすれば「心」の問題を疎かにしがちな私たちは、新しい年の始めに当たってもう一度原点にたち返る必要があるのではないだろうか。 (OCC会長)



相手の立場で   板井 裕 [97/1/20]

パソコンやワープロなどを買うと必ず操作マニュアルという説明書がついてくる。テレビや車なんかと違ってこの説明書がなければ全然先へ進むことができない。あちこち触っているうちに操作できるようになったという話は今まで聞いたことがないし、また事実不可能だ。専門店から買えばまだしも、通信販売等で買えばちょこちょこ教えてもらうことなどまったく期待はできない。結局マニュアルと首引き。悪戦苦闘の末、頭が痛くなって投げ出してしまうのがおち。昨今のマニュアルは数百ページもあるものが多く、しかも英語やカタカナだらけ。「パソコンおたく」と自称する私のような者でもマニュアル片手にすいすい・・なんて、とてもじゃないが至難の業。メーカーにそんな話をすると「だっからよ」と一応肯定的な返事が返ってくる。それでも平易な言葉に書き改める(翻訳?)専門会社に委託しているという。NECでは直木賞作家の海老沢泰久氏にマニュアルの執筆を依頼したとのこと。直木賞作家だから必ず分かりやすい文章を書くとは思わないが・・。でも超パソコン音痴だった彼はこの本を書くため、一から習って素人の立場で書いたそうだ。だから指示通りにやれば初心者でも操作が可能だという。マニュアルの多くは専門家によって作られており、しかも習う人の立場で書かれていないため素人には難しくて理解できない場合が多い。

    私たちの周囲にはこれに似たようなケースが実に多くあるのではないだろうか。それにしても、相手の立場に立ってとか、目線は相手の高さに合わせて・・などと簡単に言うが本当に難しいことだと思う。コンピュータ屋の末席を汚す私たちも気をつけなければと何時も戒めている。 (OCC会長)


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まだまだ青春! 板井 裕 [97/2/3]

周囲は常に技術革新を繰り返しては新しい製品を送り出してくる。コンピュータはその代表的な例であろう。車なんかと違ってパソコンときたら年に一回どころか四〜五回も新しいモデルが出てくるのだから本当に驚いてしまう。新しいモデルは旧型に比べてその都度、確かに大なり小なり改善され、性能もかなりアップされていることは事実。その性能アップであるが、人の身体に例えれば主として頭脳(メモリー)の部分が多い。要するに情報を処理したり貯えておく能力の強化拡大である。

さてさて、人は年を重ねると色々な機能が衰えるが、記憶力の低下減退はよく知られた現象であろう。将棋の米長元名人は「問題は記憶力が衰えたのではなく忘却力が落ちたと考えるべきだ」と言ったそうだが一考に値する言葉かと思う。もし人が一生に記憶できる量が一定だとすれば、まだ容量に余力がある若い時代はデータはどんどん入って行くが、中高年になると過去の情報が既にぎっしり詰まっているので新しい情報を入れるスペースが見つけにくくなるのではないだろうか。もし記憶力が落ちて来たなと思ったら、パソコン同様、価値の乏しくなった過去のデータを破棄して、新しいデータが入るスペースを再構築しては如何だろう。記憶力の減退と考えるか忘却力の低下と考えるか、考え方一つで結果は随分違ってくるのでは。年令を問わず、時には日向ぼっこでもしながら、自分の記憶装置の虫干しも必要かと思う。

私たちの頭脳は、有り難いことにパソコンなんかと違って、使えば使うほど磨かれ行くものだと思う。体力の衰えは紛れもない事実だが、こと脳力に関しては「まだまだ青春!」といつも自分に言い聞かせている。 (OCC会長)


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父母からの便り 板井 裕 [97/2/17]

 子供たちの遊び方が一昔前とはすっかり変わってしまったようだ。真っ黒になって庭や野原でトンボや蝶々を追いかける代わりに、ビューンバンバンとコンピュータゲームに熱中したり、かぶと虫や鈴虫を飼う代わりに「たまごっち」なる液晶ゲームで仮想生物を養ったり、実にさまざま・・。こうした現象を「当たり前だよ。世の中が変わったんだから」などと簡単には片づけられないような気がする。

子供を県外で学ばせている親の多くは「限度はいくらまで」と予め決めて子供にキャッシュカードを持たせているという。要するに毎月送金はしないというのだ。 昔の学生たちは家からの仕送りを首を長くして待っていた。封筒が届くと送られてきた為替と父や母からの便りに、目頭を熱くし遠く離れた我が家の姿を思い浮かべたに違いない。今日、離れている親子間のコミュニケーションは電話が主流。ビジネス社会ではワープロでプリントされた文書が当たり前。効率的で便利この上もない。技術の進歩がもたらす恩恵を決して否定する訳ではないが、でも下宿や間借り先の暗い電灯の下で読む家からの便りに、往時の子供たちはきっと言葉に尽くせぬ父母の思いや苦労を肌で感じ、封筒の底に漂う家の残り香に家族の温もりを感じたのではないだろうか。

今、文明の限りない発達によって心の疲れた人が多くなっているという。身体の疲労は休めば治るが、心の疲労は休んだって治るものではない。どんなに技術が発達しようと、心の疲労を即座に癒し、人の情けや心を的確に伝えてくれる機械はまだ当分先なのでは・・。古い奴だと思われるだろうが、「古き良きもの」を少しでも若い世代に伝える勇気を持ち続けたいものだと思っている。(OCC会長)

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パソコン音痴  板井 裕 [97/3/3]

   家内の田舎でお正月を迎えるために竹富島に渡った。原稿の締め切りが迫っていたので今回は仕方なくパソコンをもっていった。パソコンをもって旅に出ることは殆どない。というのも空港での手荷物検査の際、「電源を入れてみてください」と言われた時に面倒くさいし、その時の周囲の冷ややかな眼差しがたまらなく嫌いだからだ。でも今回は往きも帰りもX線検査を一発でパス。「はい。どうぞ」で終わり。覚悟をしていただけに拍子抜けしたと言うのが本音だ。以前と違ってきっとパソコンやワープロをもって旅をする人々が増えたのだろう。東京では出先から携帯電話につないで会社に注文を入れたり、在庫を調べるためにパソコンをもち歩くビジネスマンが多くなったというし、県内でも休日には教室へ通う親子連れも増え始めているという。そう言えば「パソコン音痴」とか「キーボードアレルギー」という言葉は最近あまり耳にしなくなったようだ。音痴だってカラオケで一生懸命勉強(?)すればある程度上手になるのは周囲の例からも明らかでは。

   クリントン大統領は先の一般教書演説で、全国民が十二歳までにインターネットを利用できるように、またさまざまな意見や文化が交じり合う社会の交差点に例えて、二一世紀の「町の広場」にしようと提唱している。今の調子で進めば、やがてパソコンとのお付き合いを拒んでは暮らしていけない時代がやってくることは確実。

どうせ避けて通れないならカラオケじゃないがぼつぼつチャレンジしてみるのも選択肢の一つでは。道具はすべて使い方次第。昔から習うより慣れろというが、慣れるためにも最初だけは習ったほうが進歩は早い。町の広場で楽しく過ごすためにも。(OCC会長)

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知恵と感性が必要  板井 裕 [97/3/17]

 会社の窓を通してすぐ近くにビルの工事現場が見える。県営高層住宅の建設現場とのこと。今のところクレーンで鉄骨を組み立ている段階であるが、完成の暁にはきっと綺麗な高層ビルが姿を現すことだろう。それにしてもこのところ立派なビルや建造物があちらこちらで目につくようになった。最近のビルは照明、空調、防音、情報環境などに配慮したいわゆるインテリジェントビルが多いという。そんな立派なビルの中で文明の利器を使って仕事をするのは快適できっと能率も上がることだろう。

   さて問題は、こうした近代的なビルの中で、しかもパソコンの画面を相手に仕事をしていると、私たちは何かしら的確な判断を行いすごく効率的に仕事をしているような気分になるから不思議。そのうえ朝から晩まで机に向かっていると、窓の外を吹き抜けていく風が冷たいのか暖かいのか、お客さまが何を求めておられるのか、ましてや現場の雰囲気などを肌で感じとることができなくなってしまう。こうして私たちはいつしか自分の周囲に目に見えない壁を築いて人との大切なふれあいの機会を自ら遠ざけてしまうことが多い。

 コンピュータは今、社会のあらゆる分野で活躍しているが、どちらかと言えばやる気とか愛といった心の領域に関することはあまり得意ではない。それにどんなに高性能になったとはいえ自分の周囲に張り巡らした壁を取り壊すことはできない。これまで人にあまり優しかったとはいえないこの道具も、年とともに人間サイドに限りなく近づいてきている。でもまだ十分とはいえないようだ。だから私たちの感性や知恵でおぎない、相手への思いやりなどを添えて、上手に使いこなしたいものだといつも考えている。(OCC会長)

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